【レポート】銀座四丁目の時計塔、その始まりは八潮出身の時計商だった――浮塚生まれ・小林伝次郎の物語

150年前、銀座初の時計塔「八官町の大時計」を築いた小林伝次郎。銀座の街に刻まれた知られざる歴史をたどります。

銀座四丁目の時計塔、その始まりは八潮出身の時計商だった――浮塚生まれ・小林伝次郎の物語

銀座四丁目交差点の時計塔(セイコーハウス銀座)6月25日撮影

銀座四丁目の交差点に面した時計塔。

多くの人が一度は見上げたことのある、銀座を代表する風景のひとつです。

その時計塔のルーツが、実は八潮市浮塚出身の人物につながっていることをご存じでしょうか。

今から150年前の明治9(1876)年、京橋区八官町(現在の銀座八丁目)に建てられた「小林時計店本店の時計塔」。

銀座四丁目の時計塔、その始まりは八潮出身の時計商だった――浮塚生まれ・小林伝次郎の物語

「八官町の大時計」と称された小林時計店本店の時計塔(リーフレットより)

銀座で最初とされるこの時計塔を築いたのが、小林時計店2代目・小林伝次郎でした。

2026年6月7日、八潮市立資料館で開催された、八潮の地名から学ぶ会主催のセミナーからのご紹介です。

銀座初の時計塔150年記念<明治9(1876)年設置>
地名とまちづくりを考えるセミナー
(八潮市)浮塚出身・小林伝次郎と銀座
――時計商の元祖が街の基礎を築いた――

講演「明治期の銀座 ―時計王を競った小林伝次郎と服部金太郎の攻防―」岡本 哲志(都市形成史家/元・法政大学 教授)

銀座四丁目の時計塔、その始まりは八潮出身の時計商だった――浮塚生まれ・小林伝次郎の物語

岡本氏の講演の様子、6月7日撮影

明治9(1876)年、小林伝次郎は八官町の本店に大時計を設置しました。

日本はその3年前、不定時法から定時法へ移行したばかり。街の人々にとって、大時計は正確な時を知らせる最先端の存在でした。

小林伝次郎が築いた時計塔は、後の銀座の時計塔文化にも影響を与えていきます。

その頃の銀座には、一人の少年がいました。最初の奉公先は洋品雑貨問屋、小林時計店からほど近い場所にありました。後に世界的時計製造会社となるセイコーグループの創業者・服部金太郎です。

金太郎は若い頃、小林時計店の繁盛ぶりを見て、「時計屋になろう」と決意したと伝えられています。

初代小林伝次郎は、現在でいう彫金師から著名な時計師となり、和時計の時代に活躍しました。

そこへ弟子入りしたのが、浮塚出身の小林伝治郎です。後に養子となって家督を継ぎ、二代目小林伝次郎となりました。初代は伝治郎(幼名)のことを、時計技術だけでなく商才や経営能力も高く評価していたようです。

二代目は商人として頭角を現し、明治維新後には「江戸の七商人」の一人に数えられるまでになります。そして明治9(1876)年、47歳の時に八官町の本店へ大時計を設置しました。

銀座四丁目の時計塔、その始まりは八潮出身の時計商だった――浮塚生まれ・小林伝次郎の物語

岡本氏の講演の様子、6月7日撮影

その頃、後にセイコーグループ創業者となる服部金太郎はまだ少年でした。時計店での奉公などを経て、21歳で服部時計店を開店し、独立しています。

成功をおさめた服部金太郎は27歳で銀座に店舗を構え、その7年後に銀座4丁目交差点に時計塔(初代)を設けました。ここで興味深い偶然があります。 初代は「小林伝次郎」、浮塚出身の二代目は「小林伝治郎」。

たまたま弟子入りしてきた二代目は、同じ「こばやしでんじろう」漢字が一字異なるだけだったんです。家督を継いで「小林伝次郎」となりますが、晩年になって伝治郎と書かれた記録もあるようです。浮塚の実家への想いを大切にされていたのかもしれません。

明治29(1896)年、小林伝次郎は67歳でアメリカへ渡り、海外時計会社との代理店契約を結びます。

一方、服部金太郎も明治32(1899)年にアメリカを訪れますが、その目的は最新の機械設備の導入でした。

同じ時計業界に身を置きながらも、小林家は海外の優れた時計を扱う道へ、服部時計店は自ら製造する道へと進みます。岡本氏の講演からは、二人がそれぞれ異なる形で時代の変化に向き合っていたことが伝わってきました。

「八官町の大時計」は関東大震災で焼失しました。しかし小林家の歩みはそこで終わりません。震災後の銀座復興にも深く関わり、街づくりを支える役割を担います。

時計商として時代を読み、必要に応じて事業の形を変えていく。そうした柔軟な発想は、二代目小林伝次郎から受け継がれたものだったのかもしれません。

岡本氏の講演からは、二代目小林伝次郎が常に「次の時代をどう生きるか」を考えていた人物であったように感じられました。

銀座四丁目の時計塔、その始まりは八潮出身の時計商だった――浮塚生まれ・小林伝次郎の物語

「八官町の大時計」があった交差点、写真は昼間さんより

現在の銀座に、「八官町の大時計」は残っていません。それでも、銀座4丁目交差点の時計塔から銀座八丁目まで歩いてみると、その距離はわずか15分ほどでした。

小林時計店の時計塔そのものは失われていますが、近くのDKビルで小林伝次郎の名前を冠したプレートを見つけました。資料の中の人物だった小林伝次郎が、ふと現在の銀座とつながったように感じられた瞬間でした。

時計商として時代を切り開き、震災後は街づくりにも関わった小林家。岡本氏の講演をきっかけに歩いた雨の銀座でしたが、150年前の人々が見た風景に思いを重ねる有意義な時間となりました。

銀座四丁目の時計塔、その始まりは八潮出身の時計商だった――浮塚生まれ・小林伝次郎の物語

八潮市立資料館 視聴覚講座室にて開催

小林伝次郎と銀座の歴史について、講座や報告の内容はとても豊富です。今回の記事では、私自身が特に印象に残った内容を紹介させていただきました。

さらに関心を持たれた方は、八潮の地名から学ぶ会が作成したリーフレットも手に取ってみてはいかがでしょうか。

「時計商・小林伝次郎と銀座」(「八潮市協働のまちづくり推進事業助成金」を受けて制作)

八潮市立資料館、菓子道楽 杵屋、よし寿司などにて配布

【主催・問い合わせ】八潮の地名から学ぶ会
TEL:090-4389-4895、FAX:048-998-4451
E-mail:gake840@yahoo.co.jp


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