【八潮のキーパーソンたち:各分野で輝く人々】 八潮の音楽人:「MIKKOのライフ&サウンド」 Act.2

自己発見と再スタート『JARRING(ジャーリング)』

もう30歳。この時点で私の音楽をやる目的は、バンドで売れて、ここまで育ててくれた、片親でも頑張ってきてくれた、散々心配かけてきた母に親孝行をすることでした。しかし、実際は母にお金を借りて、地方を飛び回る日々。情けなさすぎる。

この頃、私に人生を懸けてみると言ってくれたバンマスが、MIKKO、悔しくないの?本当にこのままでいいの?と何度も私に問いかけていました。

うるせえ、お前とバンドなんかやったから、私は売れることができなかったんだよ!。なんて心の中で思っていました。自分がダメなのを人のせいにしはじめ、本当に心が擦れていた時、

「あれ??これがロックか??」

と気づきました。うるせえ!!黙れ!!クソ野郎!!なめんじゃねぇ。汚い言葉が溢れかえりました。

私はこれまで、必死過ぎてとにかく真面目にバンドをやって、真面目に歌ってきました。ボイストレーニングも19歳からずっと通い続け、一流の先生にずっと指導していただいたのに、30歳目前でも私の歌は全く良くならず…

この真面目過ぎる自分がダメな事にハッと気づいたんです。散々お世話になったボイストレーニングもきっぱり辞めることにしました。

これまでとは真逆の自分の道を進みだした途端、私の個性は強烈に光りはじめ、常に悔しい根性をむき出しにして歌い始めると、お客さんがやっと感動して泣いてくれるようになりました。あのボーカルやばい。嘘がない。と言ってくれるようになったのです。

歌唱力なんて完全に捨て去り、私は毎回叫ぶように歌っていました。容姿も様変わり。黒い服しか着ませんし、髪も真っ黒に染め、ロングのストレート。何処から見ても魔女。二コリともせず、常に目は吊り上がり、女ボーカルであんな強面な人、初めて見た!何ていわれることが当たり前に。

そもそも「女にロックは出来ない」と言われた言葉がずっと心にひっかかっていたので、特に男性バンドマンには常になめられたくない一心から、超トゲトゲな態度。ろくに口もききません。当時を知るバンドマン達は私を見ると、いまだにひきつって後ずさりする人もいるくらいです(笑)

このバンド、その後、全国区的に名前は知れ渡るようになります。ジャパニーズサムライぶった切りロックバンド、『JARRING(ジャーリング)』。

お酒も各地で飲みあらし、ゲロまみれになったメンバーを機材車に乗せ、何百キロという距離を毎回一人運転して帰ってきました。しょっちゅう泣きながら運転していましたよ。辛いんじゃなくて、まだまだ悔しさが溢れてくるんです。何度ステージに立っても、こんなもんじゃない、まだまだ強くカッコよくなれる、こんなんじゃダメだと。年間100本近いライブをこなし続けました。

それはそれは荒れくれた本格強面ロックバンドとして名を馳せましたが、そんなバンド生活も体力と心の限界を迎え、結成から10年の節目の時、私が37歳で解散。本当によく頑張った。今でもこの頃の自分をたくさん褒めてあげてます。

JARRING(ジャーリング)

JARRING(ジャーリング) 解散直前の最後のアーチスト写真

それから、私は自分の名がまだ知られてるうちにと、懲りずに今度はミュージシャンを集めた劇団を立ち上げたのでした。このお話はまた別の機会に。

ちなみに冒頭でお話したアルバイト。2年で辞めると宣言したにも関わらず、ビデオ屋は21年、警備員は15年続けました。超局様です(笑)。我ながら面白すぎる!!!

37歳を過ぎてからは、完全アーティストバックアップ態勢に入り、慕ってくれるバンドマン達からの熱い声にお応えし、本格的にボイストレーナーとしても活動がスタート。実際警備員を辞めて33歳からボイストレーナーとしての活動は、やはりバンド活動が忙しく、なかなか時間を取れず。しかし、37歳からは劇団の稽古以外の日は毎日のようにレッスンに努める事が出来ました。次回は「私がボイストレーナーになった訳」という題材でお話していただきます!!

こんな苦労してまで売れないバンドを続けてきた人はそうそういないでしょう。苦労して売れた人はたくさんいると思うけども!!(笑)。

そんな中、体調に変化が。33歳で乳がんの疑い。半年結果が出ず悩まされ、35歳でまたも乳がんの疑い。37歳で大腸がん一歩手前で即手術。乳がんは疑いでとどまり大事には至りませんでしたが、ちゃんと身体は悲鳴を上げていました。

身体に異変が現れ、自分が女であることに改めて気づけた良いキッカケでもありました。

そこから私は健康についても学び始め、資格も取り、今では先生が出来るまでになりましたよ。ええ。

音楽人生の苦労が、今の私を作り上げています。何の無駄もない!!そう言い切れます。「苦労は買ってでもしろ!」と心底思います。今の私は、ちょっとやそっとのことじゃ動じません。心も相当強くなりました。

現在と未来への展望

【八潮のトップランナーたち:各分野で輝く人々】 八潮の音楽人:「MIKKOのライフ&サウンド」 Act.2

現在活動している「スセリ tradition」

そして、JARRING解散から12年。また同じメンバーで今年活動がスタートしました。

バンド名は変えました。あの頃と同じことは出来ません。殺される(笑)。現在は「スセリ tradition」として再スタートしました。48歳だぜ(笑)まだやるのかよ!!自分が自分に突っ込んでいます。しかし、あの頃より断然楽しい!!。

バンマスは言いました。「本当のロックは女にしか出来ないかもしれない。女の方が強くて怖い(笑)」。

だろ?女なめんなよ!

私が現在もロックボーカリストです!と名乗る意味はロックとは“生き様”のこと。ジャンルじゃありません。生き様見せて、歌うボーカリストです!

今はステージではたくさん笑顔で歌っています!いや、まだ怖い顔はしてるかな(笑)。機会があればライブ遊びに来てくださいね!!

長々と読んでいただきありがとうございました!!

皆さん、苦労は買ってでもしろ!この言葉を信じて、今は辛くても諦めず続けてくださいね!必ず結果はついてきます!!

次回は人をバックアップできる人間に成長できた私のストーリーを聞いてください!!

MIKKOでした!またお会いしましょう!!

→次回はAct3.ボイストレーナーになる!そして新たな道への挑戦!— MIKKOのライフ&サウンド」
2024/7/30公開

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​木村 美智子 (MIKKO)

幼少期から母親の影響で昭和歌謡を歌い、音楽の道に進む。中学時代にはバンドブームに乗り、ライブや演劇にも関心を持つ。高校生で全楽器に挑戦するが挫折し、歌に専念。27歳で「JARRING」としてCDリリースするも事務所破綻に直面。

その後、インディーズでの活動に注力し、全国でライブを展開。37歳でバンド解散後、演劇に再挑戦し、劇団vivifyを旗揚げ。ライブハウス「Asakusa Gold Sounds」の運営に携わりながらデザイナーとしても活動。

45歳を過ぎ体調を崩すが、これをきっかけに健康に関する資格を取得し、ボイストレーナーとしての新たな道を歩み始める。

現在もバンドと弾き語りで活動を続ける傍ら、個人でボイストレーニング教室を開き、豊富な経験と知識を活かして後進の指導に努めている。JAZZやゴスペルなど多様な歌唱法を学ぶ。独自の経験を基に、歌と精神面のサポートを提供している。

https://www.vivifyvocalschool.com/

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