八潮市内で活躍するキーパーソンの方を取り上げる、不定期連載の【八潮のトップランナーたち:各分野で輝く人々】シリーズ
【八潮のトップランナーたち:各分野で輝く人々】第一弾は、現役のボーカリストとして、市内でボイストレーニングスクール「vivify vocalschool」 を開設、そのボイストレーニング講師として活躍されている「MIKKO」さんをフューチャーし、計4回での連載としてリリース致します。
MIKKOさんがなぜボイトレの講師となったのか。MIKKOさんの目指すものとは。最近スタートした「ゴスペル」教室など、MIKKOさんの音楽との関係を赤裸々に語って頂きました。
こんな方がこの街で活躍しているということを知って頂けると幸いです。
MIKKOさんは、現在、県八潮市で受けられるボイストレーニング/ボーカルレッスンとして、ボイストレーニングスクール「vivify vocalschool」を運営。
本格プロ志向から気軽に基礎を学びたい方まで、老若男女問わす、心・健康・美容・にボイストレーニングは最適と、日々レッスンをおこなっています。
ご興味のある方はぜひお問合せください。
Act2.本格ロックボーカリストへの道のり — MIKKOのライフ&サウンド
はじめまして!埼玉県八潮市を中心に活動しています、vivify vocalschool 講師のMIKKOです!
この度、ご縁をいただきまして、私の音楽人生を中心としたお話を、この場をお借りして、お届けさせていただきたいと思います!
面白おかしく読んでいただけるよう努めますので、最後までお読みいただけたら嬉しいです。
今回は、本格ロックボーカリストへの道のり、というお話です。しかし今回は痛々しい内容かもしれません(笑)。今では素敵な想い出!!
バンドの始まりと最初の挫折
16歳で初のバンド結成!高校の文化祭は毎年出演し、高校2年生からライブハウスでの活動もスタートさせました。
すっかりバンドの面白さにのめり込んだ私は、高校卒業後にバンドを継続させながら、アパレル業界に就職。アパレル店員をしながら、バンドメンバーを一新、女性3名、男性2人でポップでキュートなバンドを結成。この頃は、もう弾けるばかりのの笑顔で、ミニスカートで歌ってましたよ!自分で言うのもなんですが、眩しいほど可愛かった(笑)。自分たちの音楽ジャンルを「ポップンキュート」と名付け、順風満帆にライブ活動をしていました。
しかし社会は厳しいもので、だんだん仕事の忙しさにのみこまれまして、バンドをやる時間が全くない!!ということで、2年半で会社を退職。フリーターとなり、地元のレンタルビデオ屋さんと警備員のバイトの掛け持ちで必死に働きながらバンドを頑張りましたよ。
バイト先には意気揚々と「この後バンドが売れちゃうので、2年くらいしか働けません!」と伝えていました。まあこの後、何年このバイトを続けたかは後半でお伝えします(笑)。
バンドはライブハウスからのプッシュもあり、オーディションにも挑戦し、業界の方の目に止まるようにもなり、「あ~私は確実にプロになれるんだなぁ!」と妙な自信もありましたね。
目指したメジャーデビューとその挫折
当時人気絶頂だった「PRINCESS PRINCESS」のメンバーや、「レベッカ」のキーボーリストの土橋さんにお知り合いになる機会を頂き、メジャーへのバックアップがどんどん進んでいきます。順風満帆!!。
という絶好調の中、なんと女性メンバーの妊娠が発覚。お相手は元々お付き合いしていた同じバンドのメンバーの男性。2人は子どもを育てる為、同時脱退…。残されたメンバー3人で何度も話し合い、新たなバンドを結成するも、うまくはいかず。もう一人の女性メンバーはなんと音楽の聖地、インドのデリーに渡り、本格的に音楽を学びたいということで脱退。敢え無くバンドは消滅。順風満帆だったバンドは解散に至りました。
とはいえ、当時の事務所にバックアップしていただき、私はなんとかソロデビューのお話をいただきました。
レベッカのNOKKOさんにとても憧れていたので、そのレベッカの土橋さんプロデュースでのデビューのお話をいただいた時は、泣くほど嬉しかったのですが、寝ても覚めても、どうにも引っ掛かることが。
それは、バンドへのこだわりでした。
どうしても、バンドでデビューしたかった。かくして私、愚かにもソロデビューのせっかくのチャンスのお話をお断りしてしまいました。この時私は21歳。業界からしてみれば、ギリギリの年齢と言われました。
21歳で遅い…ってことはこれからどんどん歳を取るのにこのままではまずい…と心底焦りました。
さっそく、新しいバンドのメンバー探しを始めたのですが、そう簡単には見つからず、とりあえず事務所がこの子とやってみたら?とキーボードの女の子を紹介してくれてまして。
その頃コーラスのサポートをしていたバンドでメインボーカルに抜擢され、キーボードの子もまじえ、女性2人、少し年上の男性3人の5人での新たなバンドが結成されました。
この頃の私はもう24歳になっていました。とにかく焦っています。
このバンドのバンマスに、これからどんどん歳は取る一方だから、もう大人びた歌を歌った方がいいと言われ、無理して難しい歌にも挑戦。自分がどんな歌を歌いたいのかを完全に見失いながらも、当時の事務所は毎週のように、業界へのプレゼンライブを用意してくれて、10社くらい集まる音楽業界人の中で、必死に歌っていました。
しかし、何度プレゼンライブをやっても、バックはいいんだけど、ボーカルが弱い…。あの子がちゃんと歌えてからまた声かけて下さいと、業界の方々は口を揃えて伝えてきます。
どんどん自信がなくなり、歌うことも嫌で嫌で自暴自棄となりつつある頃、そのバンドのメンバーにも愛想をつかされ、同時に3人が脱退。キーボードの子はかなりの実力派だったので、どんどん大きな仕事をもらえるようになり、このバンドに費やす時間がないと離れていきました。
絶望しかない日々。友達と遊ぶことは一切なく、私生活もバンド中心だったので、お金もなく、可愛い衣装も買えず。どんどん落ちぶれた貧乏バンドマンに。
歌もパッとしない。華もない。しまいには事務所と大揉め。
「お前なんか一生売れない」
捨て台詞を吐かれ決別。本当の本当にどん底を味わっていた私は当時26歳。しかし、一人、脱退をせず残ったバンマスが、MIKKOに人生を懸けてみようかな!と。
こんなに悔しい思いをして、絶望の中でも、まだ売れたい!という夢は捨てきれませんでした。
そんな私にバンマスは「本当に売れたかったら、もうロックボーカリストになった方がいい。可愛い女性ボーカルをやるには年齢が。本気で売れたいなら、自分のこだわりを捨てて、ロックを歌え!だけど俺は女にロックは出来ないと思ってる。この俺を見返すくらいカッコよくなったら?」。
正直、ロックってなんだ?どんな歌がロックなんだ?と思いましたが、諦めたくないので、わかった!やってみる!と答え、この日から一応ロックボーカリストを名乗り始めました。
ここからバンマスと2人、路上でのアコースティック弾き語りでの武者修行が始まります。
再度のチャンスと再度の災難と
1年もすると、また新たにメンバーが運よく見つかり、新たな事務所も見つかり、私の屈辱の日々を払拭するかのようなバンド生活が再スタートするのでした。
事務所が紹介してくれた個人レーベルをやっている方の元でCDリリースできることになり、レコーディングを進めて、いざ発売!という時、このレーベルの方が私に、「お付き合いしてくれたらCD出しますよ!」。
お付き合い?なんだそれ!?そう、この個人レーベルの方は、恋愛目的でのリリースをこじつけてきたのです。もちろんお断りすると、CDリリースも却下となり、それを哀れに思った事務所が可愛そうだと、事務所の方でリリースを引き受けてくれました。事務所は多くのアーティストを抱えすぎている為、うちではもうこれ以上リリースは出来ないと言っていたのにも関わらず、なんとかリリースに踏み切ってくれました。
感謝しかなかったです。本当に泣いて喜びました。この事務所のお陰でCDは全国リリース!!やっと私のバンド名が全国のCD屋さんに並びました!!
喜んでいたのもつかの間。
なんとこの事務所が破綻。
CDは財産差し押さえに。
販売は1週間で停止です。レコ発イベントを終えたばかりの出来事でした。
こんなことがあるんですよ。またも絶望が襲い、私は心身共に疲れ果てていましたが、CDリリース後のツアーがびっしり決まっていて、ステージをキャンセルするわけにはいかず、無理やりステージに上がり続けました。
心労で音程を取ることが出来ず、ステージ上で泣き出す始末。あまりに過酷すぎて、友達に相談すれば、「バンドなんてやめろ!いい歳して何やってんだ!」と言われ続けていたので、友達にも相談出来ない。CDはもうないのに、アイドルに交じってサイン会をやらされたこともあったなぁ。しかし、私の前には誰も並びません。
はい、ここまでが私の情けない、負け続けた音楽人生。
しかし!!!まだまだ過酷な状況は続きます(笑)
私は絶頂期のバンドが解散した21歳の時と、個人レーベルの奴に裏切られた時に、心底恋愛ごとで夢を諦めたくないと思ったので、恋愛からは遠ざかり、どんどん男勝りになっていきます。悔しい、悔しい、悔しい。ただそれだけになっていきます。
その後、バンドで自主レーベルを立ち上げ、事務所もメジャーレーベルも一切頼らず、ライブハウスの人だけを信じて、セルフプロデュースで全国を毎週のように飛び回り、自主CDを持ってライブを続けました。
バンドを売る為、大阪の音楽フリー雑誌に売り込みに行った時、必死にバンドのアピールをしていると、編集の人に「なにあんた、このバンドのマネージャー?随分うるさいし必死だね(笑)」とバカにされたり、各地のライブハウスでライブ後アンケートを配って記入してもらうと、ボーカルいらなくない?バックの男3人でやれば売れるのに!とか、歌いながら上向くな!ブスが余計ブス!と書かれたりして。ハッキリ一言、華がない!!とか、歌が伝わらない、響かない、とだけ書かれていたり。まだまだ現実は厳しかった…!!。
誹謗中傷なんて当たり前!!今となっては笑っちゃうくらい!!よくあんな思いして続けてたな!と(笑)。ライブハウスの人だけを頼りに毎週飛び回っているのに、ライブハウスの人間にも、ボーカルの存在が薄すぎますね、あなた。なにがやりたいんですか??と言われる始末。
こんなこと言われている頃にはもう30歳目前。さぁ、どうする私。ここで終わるか??
<次ページに続く>