【八潮のキーパーソンたち:各分野で輝く人々】 八潮の音楽人:「MIKKOのライフ&サウンド」 Act.1

八潮市内で活躍するキーパーソンの方を取り上げる、不定期連載の【八潮のトップランナーたち:各分野で輝く人々】シリーズ

mikko

【八潮のトップランナーたち:各分野で輝く人々】第一弾は、現役のボーカリストとして、市内でボイストレーニングスクール「vivify vocalschool」 を開設、そのボイストレーニング講師として活躍されている「MIKKO」さんをフューチャーし、計4回での連載としてリリース致します。

MIKKOさんがなぜボイトレの講師となったのか。MIKKOさんの目指すものとは。最近スタートした「ゴスペル」教室など、MIKKOさんの音楽との関係を赤裸々に語って頂きました。

こんな方がこの街で活躍しているということを知って頂けると幸いです。

vivify Vocal School

MIKKOさんは、現在、県八潮市で受けられるボイストレーニング/​ボーカルレッスンとして、ボイストレーニングスクール「vivify vocalschool」を運営。

本格プロ志向から気軽に基礎を学びたい方まで、老若男女問わす、心・健康・美容・にボイストレーニングは最適と、日々レッスンをおこなっています。

ご興味のある方はぜひお問合せください。


Act1.どうして私が歌い手になったのか? — MIKKOのライフ&サウンド

はじめまして!埼玉県八潮市を中心に活動しています、vivify vocalschool 講師のMIKKOです!

この度、ご縁をいただきまして、私の音楽人生を中心としたお話を、この場をお借りして、お届けさせていただきたいと思います!

面白おかしく読んでいただけるよう努めますので、最後までお読みいただけたら嬉しいです。

今回は、なぜ私が歌い手になったか、というお話です!!

幼少に芽生える燃え盛るロック魂(笑)

いきなり生い立ちからいきますよ!

私は1975年10月生まれ。東京で生まれ、八潮に越してきたのは私がまだ2歳くらいの時ですかね。実は両親が離婚をして、母子2人での人生を八潮でスタートしました。物心ついた頃から母子2人ですから、特に寂しいと思うことはなかったのですが、私が小学校に上がる頃には、母が夜な夜な飲み歩くようになりまして…。小学1年生になったばかりの私を置いて、母は朝まで飲み歩くこともあり、私が小学生の頃の母はよく飲みに出てました(笑)。今考えてみれば、母もまだ若いですからね。飲みにくらい、行きたい年頃だったのでしょう!

小学生の高学年になると、私の時代はまだ母子家庭なんて珍しいもので、片親の子はクラスに3人位しかいなくてね…。よくいじめられてました。貧乏だとか、頭悪いだとか。

今思い返すと、先生までが片親の3バカと言って、私達片親3人にヤジ飛ばしてたんですよ!!これ言っていいもんか…ダメでしょうけど言っちゃいましたね(笑)。ハッキリ言って最低な先生でしたね!でも当時の先生なんてこんなものでしょう(笑)

でもこんな経験の一つ一つが私の今尚燃え盛るロック魂に火を付けたのは間違いないですね。

その時の片親の友達が今でも私の親友で、よく子どもの頃の話をしますが、私の方が明らかに覚えてないことがたくさんあります!なにせ、子どもの頃より、この後の人生の方がよっぽど苦しかったので、子どもの頃なんて可愛いもんで、あまり記憶にないのです。

さて、歌い手になった理由にまだ話は届いていないので、そろそろ歌い手になったキッカケにいかないとですね。

バンドブームと音楽との出会い

THE BLUE HEARTS

ここまで読んでいただいた方は、こりゃ絶対グレる流れだろう…とお思いでしょう。

しかし、私はまったくグレることなく、可愛い中学生になりました。さて、何故でしょう?!その秘密は「バンドブーム」にあります。実は中学に上がる頃の時代、世の中は1980年後半から1990年前半まで続く、空前のバンドブームでした。

同じ片親の親友のお兄さんがなんと超グレてたんですが、時代に合ったグレ方で、お兄さんはパンクロック大好き青年で、当時はモヒカンにビョウがたくさんついたライダースを着てて。片手には瓶ビール。お兄さんは当時16歳くらいだったかな。そりゃもう怖かったのですが、このお兄さんのおかげで音楽をたくさん知る機会を得られたんです。

しかし、コアなパンクを私はどうも好きになれず…。私は、バンドブームの中でも、最も人気のあった「THE BLUE HEARTS」が大好きになりました。当時「ハイスクール落書き」というヤンキードラマが大人気で、その主題歌もTHE BLUE HEARTS!「TRAIN-TRAIN」、「リンダリンダ」などが有名ですよね。歌詞が本当にカッコよくて。今聴いても心に沁みます。

私は音楽を聴く中でも、歌詞に意識がいくようで、私の気持ちを代弁してくれるような歌詞の音楽が特に好きでした。

音楽にのめり込む日々

1980年の原宿・表参道

昭和の原宿・表参道

そんな中学生の頃は、バンドブームの流れで、原宿の代々木公園の前の通りが歩行者天国(ホコ天)になっていて、日曜日は車が通行止めになり、関東各地から数十バンドが集い、その道路で生LIVEが繰り広げられていたのです!!無料でたくさんのバンドのLIVEが観られる!!こんな嬉しいことはない!!

母は、飲み歩くだけで、私に愛情をかけていないわけではなかったので、私がバンドにのめり込んでも、全て肯定!好きなら原宿に行っておいで!と常に私の味方でいてくれたので、オシャレして毎週原宿に通いました。だもの、グレる暇なんてありません!!ホコ天に行けば、毎週大好きなバンドのLIVEが無料で必ず観られる!!今思えば、あの時、あの時代にバンドブームがあって本当に良かったなぁ。

そして!!私はホコ天の中でも、とびっきり好きなバンドができました。そのバンドが歌う歌詞が、また本当に良くてね。中学生の多感な時期の私の心に沁みる沁みる…。また明日から頑張ろうと思える歌が多くて、かなり助けられたんですね。

そのバンドの歌を、毎日毎日家でも繰り返し聴いているうちに、私もこんな歌詞を歌ってみたいな、私のように苦しんでいる人を、こんな歌で救いたいな…と思うようになったんです。

これが、歌い手になる一番のキッカケでした。

バンド活動のスタート

高校生になると同時に、私はメンバーを必死に集めて、バンド活動をスタートさせました。まだ高校生なので、まずはお決まりの「文化祭」から!歌のみならず、ギターにも興味を持ちはじめ、母に「ギターが欲しい!」と言った1週間後には、母が自転車でギターを担いで帰ってきました。会社の同僚の娘さんのお古のギター。可愛いショッキングピンクのフェルナンデスのギターです!2万円で譲ってもらったよ!なんて嬉しそうにギターを担いで帰ってくる母。

こんな母だもの、本当、ヤサグレようがありません!

というわけで、見よう見まねのバンドマン人生がスタート。ギターをしょって歌うボーカル!かっこいい!!ちなみに、初めてギターを弾きながら歌った曲はビートルズでした。私は大のビートルズ好き。高校3年生の文化祭でもビートルズのコピーバンドをやりました。

実はライブを終えると、職員室に呼び出されまして。え?!何も悪いことしてないのになんで??と不安になりながら職員室に行くと、顔だけしか知らない先生に手招きされ、「なんだよ、怖いよ」と恐る恐る近づくと、「ビートルズが好きなんだね!僕も大好きでね!君にはこれからも頑張ってほしいから、これ!!」と渡してくれたのは、当時まだCD化されていない、幻の音源とやらのカセットテープでした。

え??いいんですか??と私は大喜び!!ビートルズの幻の音源!高校生には贅沢な代物です!バンド、頑張ろう!!と思えたのも、この先生のお陰なのは間違いないです。

それからライブハウスにも出演するようになり、当時、南浦和にあった、“ポテトハウス”というお店では、毎月一番お客さんを呼べたバンドはお店の月刊のチラシに、写真とバンド名を掲載してもらえるのですが、高校生で私のバンドは2度も載せてもらうことになります。集客も、当時はめちゃめちゃ頑張っていました。

この頃の私はとにかく勢いがあって、なんと当時大人気だった「PRINCESS PRINCESS」のメンバーともご縁があり、ライブを観ていただいたり、可愛がっていただいたり。順風満帆の高校生バンドマンでした!

これからも歌い続けるために

私の歌唱力はというと・・・。

私が幼少の頃から、母には、毎日のような演歌を聴かされ、終いには一緒に歌ったりしてたので、歌心を掴むのも早かったのです!母も大の音楽好き!高校生にしては歌が上手いと褒められてたので、かなり調子にのっていましたね~。

しかし、ここからが本当のバンドマンの過酷さを知っていく日々のスタートとなります。私の人生はまさにロックンロール!転がる石です!

ちなみに今尚、30年以上ステージに立ち続け、いい歳してロックボーカリストです!と名乗り続けています。20代、30代は本当に過酷だった(笑)。だからこそ、今、私にしか歌えない歌を歌えています。この続きはまた次回。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。またお会いしましょうヽ(^o^)丿MIKKOでした!

→次回はAct2.本格ロックボーカリストへの道のり — MIKKOのライフ&サウンド

​木村 美智子 (MIKKO)

幼少期から母親の影響で昭和歌謡を歌い、音楽の道に進む。中学時代にはバンドブームに乗り、ライブや演劇にも関心を持つ。高校生で全楽器に挑戦するが挫折し、歌に専念。27歳で「JARRING」としてCDリリースするも事務所破綻に直面。

その後、インディーズでの活動に注力し、全国でライブを展開。37歳でバンド解散後、演劇に再挑戦し、劇団vivifyを旗揚げ。ライブハウス「Asakusa Gold Sounds」の運営に携わりながらデザイナーとしても活動。

一時体調を崩すが、これをきっかけに健康に関する資格を取得し、ボイストレーナーとしての新たな道を歩み始める。

現在もバンドと弾き語りで活動を続ける傍ら、個人でボイストレーニング教室を開き、豊富な経験と知識を活かして後進の指導に努めている。JAZZやゴスペルなど多様な歌唱法を学ぶ。独自の経験を基に、歌と精神面のサポートを提供している。

https://www.vivifyvocalschool.com/

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