八潮市内で活躍するキーパーソンの方を取り上げる、不定期連載の【八潮のトップランナーたち:各分野で輝く人々】シリーズ
【八潮のトップランナーたち:各分野で輝く人々】第一弾は、現役のボーカリストとして、市内でボイストレーニングスクール「vivify vocalschool」 を開設、そのボイストレーニング講師として活躍されている「MIKKO」さんをフューチャーし、計4回での連載としてリリース致します。
MIKKOさんがなぜボイトレの講師となったのか。MIKKOさんの目指すものとは。最近スタートした「ゴスペル」教室など、MIKKOさんの音楽との関係を赤裸々に語って頂きました。
こんな方がこの街で活躍しているということを知って頂けると幸いです。
MIKKOさんは、現在、県八潮市で受けられるボイストレーニング/ボーカルレッスンとして、ボイストレーニングスクール「vivify vocalschool」を運営。
本格プロ志向から気軽に基礎を学びたい方まで、老若男女問わす、心・健康・美容・にボイストレーニングは最適と、日々レッスンをおこなっています。
ご興味のある方はぜひお問合せください。
Act3.ボイストレーナーになる!そして新たな道への挑戦! —MIKKOのライフ&サウンド
はじめまして!埼玉県八潮市を中心に活動しています、vivify vocalschool 講師のMIKKOです!
前回は、本格ロックボーカリストへの道のり、というお話でした。今回はその続きで、ボイストレーナーを生業にしたきっかけと、そして新たな道への挑戦を踏み出したお話をお届けしたいと思います!
病気の不安とボイストレーナーへの一歩
前回でもお話したかと思いますが、30代で体調に綻びが出始めた頃。
33歳のもっとも輝かしく荒々しいバンド全盛期に、突然の乳がんの疑い。結果がなかな判明せず、半年悩んでいた時期がありました。
そんなことから、自分の身体をもっと大事にしていきたいと思いはじめていた最中、バンドのメンバーから「歌を人に教えてみたら?」とのアドバイスがありました。
確かに、歌としか真剣に向き合ってきていない人生だった私には、『歌』が唯一自信があるものになりつつあった為、ボイストレーナーという職種に少なからず興味を持ちはじめました。
元々、日本でトップを走るボイストレーナーの元で10年修行も積んでいたので、トレーナーとしての知識だけはいっぱしにありましたから。
人を育てる喜びとアルバイト経験
売れないバンドマンをしながら長い間続けていたビデオ屋も警備員というアルバイトの経験も、キャリアを積み続けたこともあり、中でも「人を引っ張る」実力を認められて、どちらの勤め先からも「社員となって、人材育成などしてみないか?」とお話をいただいていた頃でもあります。
どうやら私は人を育てることも好きだったようです。
特に、ビデオ屋は大学生アルバイト中心の職場でしたので、常にトレーナーとしての立場で、今後社会に出ていく学生さんの指導が中心でした。
警備員は逆に、戦後の日本を支えた元警察や自衛隊OBのおじい様達、会社社長や会長さんなども暇つぶしにバイトに来てたり、現役美大生の可愛い女子達も多く、とても日々勉強になる話が飛び交う現場。
とても楽しかったです!
ボイストレーナーとしての第一歩
バイト先からの社員登用のお話を頂きながら、しかし社員となると、全盛期で飛び回っていたバンドに支障が出る為、「副業で歌を教える」ということに気が向き始めると同時に、まわりのボーカリスト達からも、「MIKKOさんに歌を教えてもらいたい」という声も、確かにいただくようになっていました。
四季折々、真夏の炎天下、全国一の気温をたたきだした日も、洪水警報が出るほどの大雨の日も、関東で何十年ぶりかの積雪を記録した大雪の日も、ホッカイロ16個くらい貼って野外で頑張った結婚式場の警備員。
15年の歴史に幕を閉じ、ボイストレーナーとしてフリーでの活動を決意するのでした!
しかしボイストレーナーだけでは到底食べてはいけないので、とりあえずビデオ屋は並行して続けながら、当時まだSNSも普及してないので、自前で作ったチープなホームページで宣伝開始。
初めて来てくれた生徒さんは八潮在住のバンドマンの青年!
嬉しかったなぁ!!
そこから口コミでボイトレを宣伝し、警備員としてに稼いでいた額には到底及びませんでしたが、生徒さんはどんどん増えていきます。
現役で歌っていたこともあり、当時慕ってくれた後輩バンドマンが、こぞって生徒としてボイトレにも来てくれるようにもなりました。
演劇への再挑戦と劇団の立ち上げ
地味にボイストレーナーを続けながらも、全国区を飛び回っていたバンドがついに37歳で解散。解散が決まった時点で私は次の活動に向け密かに動き出していました。
実は私、中学生の時は「演劇部」に入り、お芝居にものめり込んでいたのです!
顧問の先生が音大出の芝居にも詳しい先生で、中学の部活ながら、しっかり芝居のノウハウを教えてくれました。
シェイクスピアから始まり、有名な台本を元に演じる面白さにハマっていきました。中学3年の最後のお芝居は八潮市のメセナで自分の脚本、演出で卒業公演も行ったほどです!
そして高校に入学し、演劇か、バンドか、どちらを今後真剣にやっていくべきなのかを散々悩み、結果バンドを選択。それから37歳に至るまで、嫌ってほどバンドはやってきました。
解散したとて、結婚して家庭に入る、なんてご縁もなかったので、もう一度演劇をやってみたいと思い、なんと思い切ってミュージシャン中心の劇団を立ち上げることに!!
この頃、同時に日本のミュージカル界、アニソン界を牽引する大物シンガーが立ち上げたボイストレーニングスクールにも、講師でお声がけいただき、ボイストレーナーとしての道も順風満帆かと思いきや、この大物シンガーさんと意見の食い違いで大喧嘩!!啖呵を切って辞めることに…。
これを機に、私はどこにも所属せず、一生一人でやっていくことを決意しました。それと同時に、自分の歌に対する想いが人一倍、いや、人十倍熱いことも実感することができました。
私は私の道を行く!!一匹狼でいい。これが私だ!!と。
そんな鼻息が荒いことがあった為、劇団にも並々ならぬ想いが募ります。
そんなこんなで、自分が想像していたものより大がかりな劇団になってしまいました(汗)。当時活きの良い知名度のあるボーカリスト達を集めたので、本当てんやわんやです(汗)。
ボーカリスト達は負けん気の強い今が旬の活気のある子ばかり。私は演者にはならず、脚本と演出を主宰として努めました。
バンドで自分の個性を表に出す為に必死だったここまでの人生。初めての裏方です。
個性で悩んできたからこそ、ボーカリスト達の魅力をもっともっと世に発信したいという強い想いがありました。
バンド以外でも全力で彼女、彼等を輝かせてあげたい。
全員芝居初心者。当時現役でゴリゴリに活動していたバンドのボーカリスト7人、ドラマー2人、ダンサー1人(この子だけ唯一の芝居経験者)、美大卒の警備員仲間だった優秀な女の子にも役者兼大道具さんとして入っていただき、生バンドの演奏も途中何曲かあったので、ギタリスト、ベーシストにも入っていただき、さらにステージスタッフも2人、計15人の大所帯。
とても一人じゃまとめきれないので、演出サポートで、当時神戸のミュージシャン劇団の主宰をしていた方にも手伝っていただいて、映像作家さんにも入っていただき、フルメンバーでミーティングなんてことになると、スケジュール調整も難しく、稽古も本当大変で。
みんな現役バンドマンですからね。いやはや。
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