卒業生98人を送り出し閉校舎 来春「八潮フロンティア高校」開校、校舎は特別支援学校へ活用
埼玉県立八潮高等学校が、この3月をもって53年の歴史に幕を下ろします。今年度の卒業生98名を送り出したのち、埼玉県立八潮南高等学校との学校統合により閉校となります。
県が進める県立高校再編整備計画に基づくもので、少子化の影響を受けた再編は避けられない現実でもあります。一方で、八潮市に県立高校を存続させるという意味では、新たな形での継続ともいえます。令和8年4月には、両校の伝統を受け継ぐ埼玉県立八潮フロンティア高等学校が開校予定です。
しかし何よりもまず、53年という長い時間を積み重ねてきた八潮高校の歩みを振り返らずにはいられません。
昭和48年、まちの発展とともに誕生
八潮高校が開校したのは昭和48年4月11日。男子91名、女子99名、計190名の新入生を迎えてのスタートでした。
当時の八潮市は高度経済成長期の余韻の中にあり、人口が5万人を突破。住宅開発が進み、若い世代が流入し、子どもの数も増えていました。前年には第五小学校(現・松之木小学校)、第六小学校(現・中川小学校)、第二中学校(現・大原中学校)が開校。教育環境の整備が急速に進むなかで、地域待望の県立高校として誕生したのが八潮高校でした。
同じ昭和48年8月には「八潮音頭」が誕生し、10月には人口5万人突破。まちそのものが成長の勢いに満ちていた時代です。八潮高校は、その象徴のひとつでもありました。
まだ周囲に今ほどの住宅や商業施設がなかった時代、校舎から見える景色も今とは大きく違っていました。田畑が広がり、空がより大きく感じられたという卒業生の声もあります。その風景の中で、多くの若者が青春を過ごしました。
半世紀を超える歴史 世代をつなぐ学び舎
昭和、平成、令和へ。社会情勢や教育制度が変わるなかでも、八潮高校は地域に根ざした学校として歩み続けてきました。
進学を目指す生徒、就職して地域産業を支える生徒、それぞれの進路に応じた指導が行われ、多くの卒業生が社会へ羽ばたいていきました。市内外で活躍する卒業生の姿は、今も後輩たちの励みとなっています。
昭和59年には八潮南高校が開校し、市内に二つの県立高校が並び立つ体制が整いました。互いに切磋琢磨しながら、それぞれの校風と伝統を築いてきた歴史があります。
八潮高校の校章は、富岳・潮・高きを組み合わせた意匠。安定した基盤の上に理想を掲げるという意味が込められています。
校舎の中庭や体育館、グラウンド、図書室、特別教室――どの場所にも、部活動や行事の思い出が刻まれています。体育祭での応援合戦、文化祭での模擬店やステージ発表に修学旅行。日常の何気ない放課後の会話や、進路に悩んだ教室のひととき。53年間で積み重ねられた時間は、単なる数字では表せない重みがあります。
コロナ禍では行事の縮小や制限もありましたが、その中でもできる形を模索しながら学校生活を守り続けました。時代の変化に柔軟に対応してきたことも、八潮高校の歴史の一部です。
校舎は未来へ引き継がれる
閉校後の校舎は、2030年4月を目標に「県東部地域特別支援学校(仮称)」として整備される予定です。
県内では知的障がいのある児童生徒が増加しており、特別支援学校の教室不足が深刻な課題となっています。八潮市に新たな特別支援学校を整備することで、地域の子どもたちがより良い環境で学べる体制を整えます。
かつて高校生が未来を描いたこの場所は、今度は別の形で子どもたちを支える拠点となります。教育の場としての役割は、これからも続いていきます。
八潮フロンティア高校 伝統と挑戦を掲げて
令和8年4月に開校する八潮フロンティア高校は、八潮南高等学校の校舎そのままに、普通科120名、ビジネス探究科120名の計240名が入学を予定(前後する可能性があります)。
掲げる柱は「人間力」「学力」「社会人基礎力」。規範意識や協調性、確かな基礎学力、主体性や課題発見力、チームワーク力などをバランスよく育てる方針です。
ビジネス探究科ではマーケティング、マネジメント、会計、ビジネス情報を学び、3年次には課題研究に取り組みます。県内初となる「高校生株式会社」設立プロジェクトも予定され、地域企業や大学と連携した実践的な学びが展開されます。
校章は八潮高校の意匠を継承し、校歌は八潮南高校のものを引き継ぐことになりました。スクールカラーは「紺碧」。広い空や海を思わせる色と共に、新校名の「フロンティア」=「開拓」のスピリットと合わせ、未来への可能性を重ねています。
3月15日、最後の校舎公開
閉校を前に、3月15日(日)にはフェアウェルイベントが開催されます。卒業生や旧職員、地域住民を対象に校舎を開放し、自由見学やメモリアル展示、動画上映、寄せ書きフラッグ展示、キッチンカー出店などが予定されています。
事前受付はすでに終了し、応募は1,000名を超えたそうです。それだけ多くの人にとって、この学校が特別な存在であったことがうかがえます。
教室の机に触れ、窓からの景色を眺め、廊下を歩く。その一歩一歩が、青春時代との再会になるはずです。
53年という時間は、まちの歴史そのものでもあります。八潮高校は、単なる教育機関ではなく、地域の記憶を共有する場所でした。
校名は変わりますが、ここで育まれた誇りや精神は、新たな学校へと確かに受け継がれていきます。八潮の学びは、これからも形を変えながら続いていきます。
<Hacchinさん>
「やしおん」運営代表。ずっと八潮の人。30年近くネットの世界にいます。長年ベンチャー企業でエンタメ業界や株式公開など色々と荒波にもまれ、現在本職は小さなゲーム会社の管理部長。BBQインストラクター資格。ガンプラ熱再び。

























